December 31, 2018

2018年の忘年会。


忘年会。「それぞれの今年の三大ニュースはなに?」という話が振られまして。

ただ慌しく、でも漫然と2018年を終えたような気がしてたけど、改めて振り返ってみると、それなりにいろいろあったなあと。

いい事ばかりではなかったけれど、その分、この後を生きていくための心持ちが徐々に固まってきたように思う、そんな1年でした。

今年もお世話になりました。
みなさん、よい新年をお迎えくださいませ!


It was asked “What were your personal 3 biggest events in 2018?” at a year-ending party.
Once I thought my 2018 was just busy and one of the ordinary years of mine, but there were lots of significant events, actually.

Not all of them were good ones but they were relevant opportunities for me to think about how to live my life in coming years.

Thank you all for your kindness in 2018 and a happy new year 2019!!

December 02, 2018

30年。


 高校卒業から30年の節目が近付いてる。
 我が母校は卒業30年目の学年が幹事学年として1年間、様々なイベントを取り仕切るしきたり。
 現役高校生の後輩たちのための社会人講演会とか、地元福岡のほか関西や東京で開催する同窓会とか。

 同窓会、これが結構な規模で、東京の同窓会でも700人とか集まる(集める)大宴会になるので、幹事も実行委員会を作ってやるレベル。有名人や大物になってる卒業生もいるし、限定グッズやタイアップ商品も作るし、そもそも会場も1年以上前に押さえなきゃいけないし。
 そんなことで、実行委員会からしきりに動員がかかってまして、出来る限り協力していこうと思ってます。出来る限り、ですけどね。
 当時、高校の運動会も割と大掛かりで、地元テレビ局の取材が入るレベルでした(今は知らんけど)。 観客席になる雛段状の足場を組んで、その上に横9m、縦3.6mのパネルを設置して絵を描くんですが、これが4つ。そのうちの一つの下絵を任されたのはいい思い出です。
 画像はその時の下絵(パネルの1/15サイズ)をスキャナーで取り込んだもの。懐かしいなあ。こういうものを振り返るお年頃になりましたよ、僕も。

November 10, 2018

そりゃそうだけどさ。

 そのジムでは、「器具を使った後は備え付けのタオルで拭きましょう。」というルールになっていて、それぞれの器具のところにハンドタオルが置いてある。

 ある時、若い男性が器具を拭かずに立ち去ると、「おい、ちゃんと拭けよ。」と絡む五十過ぎくらいの男性がいて、辺りが一気に気まずい雰囲気。僕は見てたんですが、その若い男性は今ジムに来たところで汗もかいてないし、その器具でちょっとウォーミングアップしただけなんですよね。別に器具に汗を残したわけじゃない。

* * *

 その通りは中央分離帯が植え込みになってて、車で脇道から出てくると右折も直進もできない。左折のみ。ただ、大して車も人も多くないところなのに歩道はかなり広いので、自転車で脇道から出てくると、右折して歩道を50mほど逆走すれば、信号を渡ってその通りを横断できる。

 ところがその50mの区間で、「おい、なに逆走してんだよ。」と絡む男性がいる。これも五十過ぎか六十くらい。いきなり他人から大声で凄まれれば、頭に血が上るのも分かる。

* * *

 「規則」という点から言えば、いずれも他人に注意し絡んでくる男性の方が正しい。正しいんだけど、そりゃそうなんだけど、それでだれか迷惑しましたか? 規則上文句が言えない立場から他人を罵って、気持ちよくなってませんか?
 規則ではそうなっているという状況で、相手が反論しづらいところで、相手を叱責する。そういうことがあちこちで起きてて、なんだかギスギス、息苦しくしてると思うんですよね。

 しかし、外形的には他人に絡んでくる人の方が正しいことになってしまうので、なかなか指摘しにくい。ブログでこういうことを書いても、「あなたは規則を守らなくてもいいと言うんですか!」「違反者の肩を持つんですか!」というレスが付く気がする。

 息苦しいなあ。通勤電車の「お客様どうしのトラブル」っていうのも、こういう感じなんだろうなあ。

 で、なんでかこういう正義を盾に他人を叱責する人って、中高年の男性が多いように思うんですが、どうなんでしょうかね。くわばらくわばら。

October 26, 2018

ジャーナリストの人質事件についての会話。

>>安田純平氏の件ってどうなんですか? 私は、戦場ジャーナリストを名乗る以上、自身のセキュリティには最大限注意すべきだと思ってます。カタールが払ったという3億円の身代金も……。
>>私の考えが歪んでいたらごめんなさい。
>>でも、自分の行動で、他人様に迷惑をかけるって我慢ならない。しかも、3回目! 日本の報道を見てると、ジャーナリストは支持してますね。彼を。

>彼のこれまでの発言、行動を見ているととても支持できないし、「いい加減にしろ」「自己責任だろ」と言いたくなるのも分かります。僕も「なんなんだこの人は」と思う。
>でも、それでも、そんな人間でも、海外でヤクザな犯罪集団に拘束されたとなればその解放に最大限可能な努力をするのが国家であるし、それがあるべき姿だと思います。 >たとえ一納税者としては腹立たしく思えたとしても、国家の威信と信頼を維持するためには必要なコストだと思いますよ。

>>なるほどね。
>>今回の事件と離れますが、湯川遥菜さんのときには、あんまり日本政府は熱心に動いたようには見えなかったけれど、それは高度の国際政治的問題から実は隠密裏にやっていたんだけど間に合わなかった・・・、ということなんでしょうか。

>>それと、カタールが3億円?の身代金を払ったということなんですが、カタールがたまたま金持ちだったからよかったようなものの、日本政府は絶対に払わない、という姿勢だよね。最大限可能な努力、というのは、「金を払わないで」という前提となると、なかなか解放交渉はシンドイのではないかと思うのです。私個人は、国家が身代金を払えとは思ってないです。ただ、先方が金を要求する以上、いくらなんでも交渉に限界があるのでは、という意味。

>「最大限可能な努力」も限界はあるのですが、努力しているという姿勢を見せることが大切なんではないでしょうか。

>実際上は手詰まりになって、だからいつまでも解決しないまま時間が過ぎていくわけで。 >身代金については、これは本当に払ったかどうか分かりません。「身代金の要求には応じない」が正攻法であり、払わないから解決しないし、場合によっては人質が殺害されることもやむなし、というのが正しいとされていますが、実は裏でこっそり払っている可能性は否定出来ないです。アメリカでさえ、「絶対払わない」と言っていたのに、事件解決後何年も経って、実は払っていたことが暴かれたケースがあり、欧州諸国も実は払っていたのではないかと疑われる事案があると聞きます。 >今回はカタールが払ったことになっているそうですが、実際は誰が払ったのか、あるいは誰も払っていないのか、分かったもんじゃないです。

>>なるほどね。身代金のことは、だれもわからない・・・それはそうだわね。
>>日本の報道機関の論調だと、ジャーナリストなんだから英雄だ・・・という感じなのですが、民間人だろうがジャーナリストだろうが、日本政府としては同じ扱いということだよね。
>>ジャーナリストといっても、単に目立ちたがりの冒険野郎の自称ジャーナリストの人もいるだろうし。
>>とにかく政府は「日本国民を見捨ててません。努力してます」という姿勢を示すことは大事で、今回は、幸いにも結果が伴った、ということでしょうかね。


>どんなに愚かしい人でも、どんなに政府に批判的な人でも、政府は国民を守るという姿勢を取ることが必要だと思います。 >どんなに馬鹿で自己責任で貧困に陥った人でも、政府にはすべての国民に福祉を提供することが憲法上求められるのと同じでしょう。


>>なるほどー。
>>ということになると、ジャーナリストと民間人は、あまり違いはないということだね。


>政府は、ジャーナリストは民間人に分類していると思います。一般旅券所持者は民間人かな。あるいは軍人でなければみんな民間人。

>っていうか、報道機関がジャーナリストを民間人と区別して英雄扱いしてるのなら、そこが変。英雄のジャーナリストもいれば、愚かなジャーナリストもいる。 >医者だから、サラリーマンだからという肩書だけではその人の偉さは測れないのに、ジャーナリストの自分たちは特別であると自分たちで報じているなら、その選民意識が人々から嫌われる理由の一つではないかと。

>>それだ!


July 14, 2018

伊豆七島、式根島。

 


 その週末は西日本を中心に記録的な大雨の被害が広がり、私の実家も一時避難指示対象地域に入ってしまうという週末でしたが、心配すること以外にできることはないので、予定どおり伊豆七島は式根島にスキューバダイビングに行ってきました。


 金曜深夜に竹芝桟橋を出港する頃には東京の雨は上がり、大島を通り過ぎる頃には「さるびあ丸」の甲板から水平線上の穏やかな朝焼けを眺め、午前8時、式根島の野伏港に入港した時には真夏の日差しがまぶしかったです。



 ダイビングはものすごく久しぶりで、スキルの再確認も必要だし、そもそも年食って体型も体調も変わっているので以前を同じ事ができるのかどうかも心配だしということで、午後からゆっくり、ビーチエントリーのやさしいダイビングを2本の予定。なので、午前中は原付バイクを借りて島を一周りしてみました。


 リアス式海岸に囲まれ、ところどころの入江ではエメラルド色の海が涼しげです。



 聞けば、先史時代から平安時代の遺物も出土しているそうで、この島に古くから人がいたことが分かります。江戸時代にも八丈島に渡る時の風待ちのために船を入江に入れたり、隣の新島の人々が漁に来たりしていたようですが、改めて定住者が入植したのは明治21年(1888年)のこと。昭和12年(1937年)の開島50周年の碑と、昭和62年(1987年)の開島100周年の碑が建てられておりました。


 4世帯8人が入植した当初は真水の確保に苦労し、3年がかりで掘った「まいまいずの井戸」。現在は新島から海底に敷設したパイプを通じて真水が送られてきているそうです。

 現在の島の産業は漁業と観光業。
 小型漁船で近海の魚を捕っているそうで、いろんな種類の魚が揚がるそうですが、季節になると5kgくらいの脂ののったマグロがうまいという話です。また、タイの養殖も行われている様子でした。しかし、巻き網漁船による大規模漁業の影響で、この島の家族経営的な漁業は厳しいとの話も聞きました。先行きが明るくないので、跡継ぎがいないし、継がせたくもない。いずこも同じでよく聞く話です。


 観光業の方は、釣り客がメイン。海水浴客、私のようなダイビング目的の客もやってきます。島内に何か所かある海辺の露天温泉も楽しめます。




 しかしこちらも厳しいようで、民宿の数は往時の半分くらいになってしまったとのことでした。私が式根島に行ったのは7月初頭のハイシーズンに入る少し前だったので若干割り引いてみないといけないし、また日差しと潮風の強いところで屋外のものが早々に色あせてしまうということもあるんだろうとは思いますが、それにしてもこんな風なギリギリな感じの宿や店が多く、明らかに廃業してしまっているところも目に付きます。

 観光のハイシーズンは夏の約2か月間だけ、台風シーズンになれば客足は落ちるし、冬は暇だしということで、島の人は夏は民宿など観光客相手の仕事をし、それ以外の季節は漁業を手伝ったり、隠れた産業である公共事業に従事したりしているようですが、それもそんなに実入りがよいわけでもなく、先細りを思わせる話でした。

 ということで、いずれにしてもあんまり景気のいい話ではないので、若い人が定着せず高齢化が進み、働き手が高齢化するからまた民宿が閉じるという悪循環。少子高齢化の昨今、日本全国どこでも似たようは話は聞きますが、都内からのアクセスはそんなに悪くないところ(竹芝桟橋から大型船で9時間、高速船で3時間。調布飛行場から飛行機で新島まで40分、新島まら船で20分)にある美しい海と島というアドバンテージを持っているのに、それでも避けられないこの現実。開島100周年、昭和62年には700人を超えていた島の人口は、今は550人くらいだといいます。

 行政もただ傍観しているわけではなく、東京都は人口当たりで見れば破格の予算を離島に割いていますし、平成31年3月末までの期間限定ではありますが伊豆七島の加盟店で有効な電子クーポン「しまぽ」を発行したりもしてます。

 それでこの「しまぽ」、観光客が7000円で購入すると都が3000円の補助を付けて1万円分のクーポンとして使えるという仕組みなのですが、認知度はあまり高くないようで、しかもお店側にしてみると運営側(JTBだそうですが)に手数料をピンハネされるのでちょっともにょもにょしてました。私も式根島に行くと決めてから「しまぽ」の存在を知ったわけで、「しまぽ」があるから伊豆七島に行こうと考える人がどれくらいいるのかなと考えると、若干疑問な気もします。まあ、お得感はあるし、離島振興をがんばっているという広報効果があるとして、それで良しとするんでしょうかね。

* * *

 とはいえ、エメラルド色の海、亜熱帯のハイキングコース、近隣にはサーフィンに好適な島もあり、しかも都内から近い。金曜の夜に出て、日曜の夕方には戻ってこれる、都内の勤め人の週末エクスカーションにはもってこいの場所です。ご興味ある方はぜひ。おすすめです。

June 16, 2018

電波マンション。




 通勤途中に古い5階建くらいのマンションがあって、そのマンションの前に頭おかしい張り紙が貼られていたり、ゴミだかなんだか分からない荷物が積まれたりしていて、どうも入居者に電波系の頭おかしい人がいるんだろうなと思っていたら、ある日、そのマンションのエントランス前で大声で隣人を罵っている六十過ぎくらいのおばさんを見かけることがあって、「あ、この人だな。くわばらくわばら。」と足早に通り過ぎたんです。

 そのマンションは古くて、どんどん入居者が減って人気がなくなり、やがてそのおばさんしか住んでいないような幽霊屋敷状態になっていたのですが、ついに建て替え。コンクリート打ちっ放しで、かっこよくて機能的そうなマンションに生まれ変わりました。

 ところが。

 その素敵マンションの駐輪場に怪しげな張り紙。通用口付近にゴミっぽい荷物が積まれ始め、キ○ガイのニオイが漂い始めました。そしてある日、マンションの裏側を通る機会があって、見上げたらこの写真。最上階角の一番いい部屋の前の廊下にガラクタ山積み。屋上にもなんかゴミっぽいもの積んでる。

 あの電波おばさん、どうも地権者なのか、建て替え後の素敵マンションにも優先して入居してたんです。
 
 いやー、こんなマンションに住んだら災難ですよ。新築で素敵なマンションだけど、キ○ガイおばさんのせいで台無し。間違いなく、不愉快で不毛なトラブルに巻き込まれる。その状況が眼に浮かぶ。

 ということで、物件を選ぶときには現地で、周囲もよく確認してから決めようね、と改めて思った次第です。

 現場からは以上です。 

March 11, 2018

スーツを買う。

 

 20年ほど前、就職に伴い上京した僕は、近くの紳士服量販店でスーツを買っていました。

 ところが、裾が短かったり、妙な生地だったり、ウェストが太過ぎたり細過ぎたり。会社の人から「ズボンの丈が短くない?」と指摘を受けて恥ずかしい思いをしたりしてました。測って合わせたはずのスーツを、一度受け取った後に再度店に持ち込んで、修正をお願いすることも度々でした。

 そんなことを繰り返していたとき、いつのことだったか、僕は新宿の某デパートの、大きいサイズの扱いが充実したところにスーツを見に行きました。

 応対してくれたNさんという自分の母親くらいの店員さんは、スーツの選び方、ネクタイやシャツ、靴などの選び方や買い方について親身になって相談に乗ってくれました。量販店で買うよりは少し高くついたけど、安心して着られるスーツを、僕はそこで買いました。

 次のスーツも、その次も、Nさんに相談して買いました。Nさんは僕がどんなスーツを持っているのか知っているので、買い足すならこういう生地や色のスーツがいいでしょうと、的を射た助言をしてくれました。

 僕のスーツの最初のワードローブは、Nさんに揃えてもらったようなものです。

 そのうち僕が海外でも仕事をするようになり、日本は冬物の季節なのに海外の出張先や赴任先の気候の都合で春夏物のスーツを注文するという無理を聞いてくれたのはNさんでした。あるいは一時帰国で東京に短期間しか滞在できない時、海外からお店に保管されているはずの僕のカルテを元に予めスーツを作っておいてもらえるようお願いしておき、東京滞在中に出来上がったスーツを受け取るというわがままを聞いてくれたのもNさんでした。

*   *   *

 少し間が空いて、次の季節のスーツを相談しようとそのデパートに出かけて、いつものところで「Nさんはいらっしゃいますか?」と尋ねたら、店員さんが少し困った顔をします。「Nさんは先日亡くなったんですよ。」

 ちゃんとお礼もご挨拶もする間もないまま、Nさんは亡くなってしまいました。Nさんにどんな家族がいらっしゃったのか、どんな人生を送ってこられてのか、僕はほとんど何も知りません。でも、僕の東京生活、職業人生のスタートを支えていただいたのはNさんでした。もう亡くなってから何年も経ちますが、今でも、感謝しています。

*   *   *

 今日また、新しいスーツを作りました。同じデパートの同じところで、Nさんに代わってEさんという男性店員さんに、ここ何年かはお世話になっています。Eさんもプロです。前回スーツを作ったのは1年以上前だったのに、カルテを見ることなく、「前回は裾を後で少し出しましたよね。」「胸回りが少し大きくなってるような気がしますね。」「前回はこのイメージで作ってましたが・・・。」と、手際よく固めていってくれます。

*   *   *

 デパートは構造不況業種だといいます。たぶんそのとおりでしょう。僕が惰性でデパートで買っているだけで、いい専門店が他にもたくさんある、というのもそのとおりだと思います。友人が紹介してくれたオーダースーツの某店も、同じレベルのスーツならそのデパートより何万円か安く買えそうですし。

 でも僕は、たぶん今後もそのデパートの、NさんとEさんのところで買い続けるでしょう。スーツと一緒に、思い出や物語を買うようにね。

*   *   *

 新宿伊勢丹メンズ館の永堀さん、ありがとうございました。江幡さん、これからもよろしくお願いいたします。

January 04, 2018

2018年。


 2018年の正月です。

 実家に帰って家族親戚の顔を見るのですが、親も老い、叔父叔母も老い、存命の祖母はもっと老い、当然ながら自分も老いているわけで、数年前に感じていた「今のままがいつまで続くのか」というぼんやりとした不安が着実に目の前に迫ってきました。

 仕事の上ではもはや十分過ぎるほどに「中堅」で、自分のポジションが固まり、充実はしているもののだんだんと先が見えるようになってきました。若い頃は広がる未来の可能性の中から自分の進む道を選ぶことができましたが、この頃は選んだ道を前進することで手一杯です。

 このまま、日々は流れて行くのでしょうか。

 先が見えているようで、見えていない。今すぐどうこうというわけではないかもしれないけど、このままというわけにはいかない。

 そんな予兆を感じながら迎えている新年です。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。